moNo’s note

最近読んだ本,観た映画など,気ままにメモします.

独立国家のつくりかた/坂口恭平(2012)

能動的になると,人は国をつくれるらしい.

綺麗なストーリーになってるようで,個々の要素が面白いので,中々まとめるのが難しい. ストーリーとしては,日本の上に「独立国家」のレイヤーを載せ,さらに「態度経済」による「交易」を目指す. 態度としては,大学時代に調べて0円生活からはじまり,経済を一種の芸術行為と位置付けて,色々な実践に繋げていく.

面白かった点を拾い上げる.

レイヤーライフについて.

彼にとって,公園は居間とトイレと水場を兼ねたもの.図書館は本棚であり,スーパーは冷蔵庫みたいなもの.そして家が寝室.それを僕は「一つ屋根の下の都市」と名付けた.

ここ数年,少し大きなスーパーに行くと,似た感覚をもつ. 例えば,エレベータやエスカレータ,トイレの前にあるベンチ. 小休憩用に設けられているのだろうが,実際,あそこで読書をしてくつろぐこともできる. また,イートインコーナーで勉強する若者たち. 「飲食物を買った人専用,長時間使わないでね」と書いてあるが,実際,それを止める人がいるだろうか. カフェやコワーキングスペースなど,場所を使うにはお金がいる,という状況は果たして自然なのか? 地域のコミュニティスペースと言いながら,コワーキングスペースとして,料金を課す.これは,本来の地域活性化なのか? 前々からの疑問に,具体的な事例をぶつけられて,似たような疑問を持つ人がいてホッとしたと同時に,ぞっとした. 誰も答えを知らないのに,まかり通ってるという状況に.

世の中は直接的に変えられない,と著者はいう. 世の中に不満があるなら,自分を変えろ. これを実践し始めると,持ち物を最小限にして,寝泊りする場所のみを確保し,あとは気力次第で生きていくしかないのか.

少なくとも,法律と行政サービスは一通り把握しつつ,自分の態度を決める必要がありそう.

(私?本や情報の収集癖があるから,小さなスペースでは物足りないかな.でも,常に家で過ごす理由はないかも,という程度.)

法律にはヒエラルキーがあって,憲法生存権のほうが強い.

成程.言われてみれば.(それを主張するかはともかく)

土地基本法第4条 土地は,投機的取引の対象とされてはならない.

知らなかった.なら不動産ってなんなのさ... 「管理」を外部化した結果,今の形に落ち着いた?巨視的に見れば,民営化の余波なのか?

「問題がない」のではなく,「問題」と見なしたら大変だから「問題がないことにしている」だけ.

疑問をもつ.少し調べる.わかった気になるか,分からず終わる.仕事の時間がやってくる.忘れる. 疑問を追求し続けられるのは,やはり,限られているのだろう.

「学校社会」と「放課後社会」 ひきこもりの人は独自のレイヤーを発しているのに,多層性を認められない社会が硬直している. 学校社会は変わらない.変えられるのは放課後社会とのバランスだけだ.

非常に面白い.

(私?仕事でしか力を発揮しないあたり,学校社会が叩き込まれた側の人間だと思う.というか,放課後を学校社会に入れたい人.)

「社会を変える」ということは「社会を拡げる」ということである.独自のレイヤーを見つけるだけでは駄目で,それをもとに交易すること.これが社会を拡張する.

独りよがりな世界では駄目だということらしい. 妄想ではなく,形にして,誰かとシェアしろ. ただ,そこまでにならないものを突破させる力ってどこから湧くのかな?

やりたいことは無視して,自分がやらないと誰がやる,ということをやらないといけない.

夢ややりたいことを追いかけるのではなく,意図的な練習を積んでプロになるとも少しだけ違う. 正直葛藤するけど…

多くの人も応援してくれているし,死ぬわけにはいかない.つまり「死ねない」.これ,すなわち「生きる」である.

ここは響いた.積極的に死ねないようにするかためには,には答えてくれないけど. しかし,死ねないから生きる,という解に辿り着く人はやっぱりいるんだな.

独立国家のつくりかた.それは考えるということ.それは,「生きるとは何か?」を恥ずかしがらずに真剣に考えることだ.

自分の生活パタンや空間を見直すのも近い感覚. これを世の中に目を向けられるか,が次にやるべき方向なのかもしれない.


これを纏める過程で気づいた. 私は,以前の活動にまだ飽きていない.だから,今の仕事に満足できないのだと.