組織に属する人は,一読してみては?,というポップに惹かれて購入.
「日本人はXだから…」とよく聞く話が多くげんなりするが,よくよく思い返すと,気づかないうちにそのステレオタイプにはまっている可能性に気づく. 今時じゃないよ,と言い返したいが,企業に属してみると,実際のところ本質はまったく変化していない気がしている. 比較対象が少ない環境だからこそ,あらためて気づかされた
また,この類の話は,良い悪いということでもない. 著者もおわりにこう記している.
本書に提示したような日本社会の特色というものは,決して日本人が本質的に他の社会の人々と比べて異なっているということではない.…(中略)…したがって,日本人は・・・である,という前に,一定の同一条件を与えられた場合,日本人でなくとも,どこの国の人間だってこのように反応するのではないかと,疑問をもってみる必要がある.
そして,その条件が「日本」ではなく,文化や人の歴史的な「単一性」ではないか,と主張している.(ここで副題「単一社会の理論」につながる…!)
最後に. この本では,知らなかった話や,ところどころに出てくる実例(いずれもインド多め)が結構面白い.
例えば,集団意識が場(属する組織など)か資格(学歴や職業,年齢や性別などの属性)のどちらにあるか,という話では,
日本人の集団意識は非常に場におかれており,インドでは反対に資格におかれている.…(中略)…駐豪やヨーロッパの諸社会などは,いずれも,これほど極端なものではなく,その中間(どちらかといえば,インドよりの)に位するように思われる.
嫁姑について,日本は孤軍奮闘だが,
インドの農村では,長期間の里帰りが可能であるばかりでなく,つねに兄弟が訪問してくれ,何かと支援を受けるし,嫁姑の喧嘩はまったくはなばなしく大声でやり合い,隣近所にはまる聞こえで,それを聞いて,近隣の(同一カーストの)嫁や姑が応援に来てくれる.
家族制度について,日本人は個人を縛る「家」を目の敵にするが,
インドの家族制度というものが,…(中略)…個人の思想とか考え方についてはまったく開放的であるためか…(中略)…家族制度は,インド人にとって悪徳でもなく,仇にもなっていない
また,ウチ者・よそ者と線を引きたがり,外国に行ってさえウチ者のコミュニティを作りたがるが,そうではない景色になると
大学で中国人の学者たちが3,4人で中国語で話し合っているところに,私たちが通りかかると,特にその連中に用事があるのでもないのに,彼らはたちまち英語にきりかえる
以前,youtubeで海外留学で「敢えて日本人コミュニティを避けている」とインタビューに答えていた学生さんがいた. ステレオタイプが崩れている部分もあるし,残っている部分もある. なんとも,文化や民族とは面白いものである.