moNo’s note

最近読んだ本,観た映画など,気ままにメモします.

ソロー『森の生活』を漫画で読む/ヘンリー・デイヴィッド・ソロー (2018)

静岡の丸善にて,科学系の棚に置いてあるのを見つけてふと手に取る. 大本は,1854年出版のウォールデン 森の生活 - Wikipedia. 日本は幕末. この年代に,あえて森に棲んでみよう,と思っている人が居たことにまず驚き. 加えて,内容に古臭さを感じないことにも驚き.

人里から少し離れた森に棲んだり. 人身売買への反抗として,税金の支払いを拒否し,刑務所に入れられたり. 街の人々の同調圧力を指摘したり.

以下,気になった文より.

多くの人々が静かな絶望を生きている.あきらめるということは,絶望を認めることだ.(中略)ただ,絶望を行動に移さないのは知恵のひとつの特徴だとはいえる.(中略)人にとっての重要な目的は何か,人生で本当に必要なものは何か,生きていくための手段とは何かを考えると,人はみんなあれこれ考えたあげく,ほかの生き方を捨てて,ありふれた生き方を選んだようにみえる.そのくせ,選択肢なんかなかったと思いこんでいる.(中略)偏見を捨てるのに遅すぎることはない.

平易な言葉でど真ん中をついてくる.文章の強さに驚いた. 最近の悩みの一部はまさにこれだ. 絶望を超えていくには…?絶望に気づいて,偏見を捨てること…?

ときどき最もやさしく,親切で,無邪気で,力づけてくれる相手は,自然のなかにあるような気がする.それはかわいそうな厭世家やうつ病の人でも同じだ.

運動しよう,と近いことなのかもしれない. 人は裏切るが,自然は裏切らない…?災害は別…? ちょっと懐疑的.

※厭世家:何かというと、すぐに、悲観してしまったり、世をはかなんだりする人。ペシミスト。(Oxford Languages)

すべては神秘的で探検しつくすことはできないし,陸も海も果てしなく野性的で,その果ては見えず,深さも測ることができないということを.われわれは決して自然を味わいつくすことはできない.

科学も同じだろう.知れば知るほど,途方に暮れるあの感覚. そして今の自分.

なぜ成功しようとあせるのだろう.なぜ,仕事をなし遂げようと必死になるのだろう.人が仲間と歩調が合わないとき,それはおそらく,その人が仲間とちがう太鼓の音を聞いているからだろう.その人の耳に響いている音に合わせて歩ませてあげればいい.それがどんなリズムであろうが,どんなに遠くから響いていようが.

最初,自分は他と違う,と解釈した. しかし,このブログに書いていると,相手の方が,違う太鼓の音を聞いているんだ,と気付く. よく見ると,仕事以外の,別レイヤの目的で動くとよい,というどこかで読んだフレーズを思い出す.

どんなに自分の人生がみじめでも,それを受け入れて,それを生きよう.拒否したり,ののしったりしないようにしよう.それほど悪いわけではないのだから.人は最も富んでいるとき,考えることが最も貧しくなる.悲観的な人間は,天国だって悲観するだろう.

(はい,悲観的な人間です.) 一度の受け入れは必要ということか?ちょっと違う. 例えばその先の文には

服なんか売ってしまって,自分の考えをしっかり手元に置いておこう.そうすれば,仲間など必要ないと思えるように神が取り計らってくれる.(中略)かの有名な哲学者もこういっている.「3個師団からなる軍隊でも,将軍を奪って崩壊させることができる.しかし,どんなに野卑な人間からも考えを奪うことはできない」(中略)いくら低いところにいようと,常に高みをみつめている人は失うものなどない.

周りの人や流行,富に惑わされるなといってる.どんなに貧しくても,とらえ方次第ということか.

※野卑:下品でいやしいこと。下卑(げび)ていること。(Oxford Languages)