大学院生のとき何気なく買って,面白かったなぁ,という感想だけは残っていた本. 本棚を眺めて何気なく目が留まる.
最も不思議なのは,なぜその感想だけが残っていたのか.それは恐らく,文章が巧で,一種の爽快感と納得感が得られるから. 直感で理解できないタイトルからはじまり,論理てきな文章で,次から次へと展開していき,気づいたら納得した気になる. 本文中に,著作への批評へ答える形で,「私は,クラブ「存在」のチーママ」という文がある. これが最も,読み終えた心象に近いと思う.
一方で,主張していることは哲学者らしく,答えはないが,その姿勢をとことん示してくれる. 悩むのではなく考える,考えるためには疑う,そのために,その前提の存在を信じる.
あとがき(1998年に書いたらしい)にこうある.
とはいえ,決して,答えの書物ではありません.どこまでも,問いの書物です.
どこかで読んだ本にもあった. 宗教的考え方と哲学的考え方の違いは,答えを提示するか否か.
情報ではなく,知識にするには,自分の頭で考えて知る必要があるという. では,読後の爽快感が得られるだけで満足してよいのか. そうしたくない,と続くのが普通であろう.
しかし,煮詰まった頭を掻きまわして一度リセット程度で丁度良いのかもしれない. 帯にこういう挿絵がある. 「マッサージとハリとイケダアキコ,どれにします?」